【名もなき囚人の最期】死は時に残酷で、時に優しい…

その存在は時に骸骨の身にマントをまとい、大鎌を持った恐ろしい異型の怪物もって表され、時に手の中の命をいくつしむ、美しくもはかなげな天使として表される。

どちらも同じ「死」を人間が具現化したものだ。

実にこの世で死ほど残酷で、反面優しさに包まれた存在はない。

釈迦は死を、人間の持つ最も大きな苦しみのひとつだと説いた。

しかし、反面、死は同じく釈迦が最も大きな苦しみのひとつであると説く「生きる苦しみ」からの開放でもある。

死は時に残酷だが、時に母のごとくに優しい・・・

誰もが死を恐れ、まだその時が訪れませんようにと、必死に神仏に祈る。

一方、生きる苦しみに疲れた者たちは、ことごとく死の持つ優しさにすがろうとする。

目は見えなくなり、耳は遠くなり、体の節々は痛くなり、内蔵は弱り…体は各所はことごとく悲鳴を上げる・・・

老いさらばえた者たちは、先人たちに会える日のことをどこか心待ちにし、自ら命を絶つ者達は、この世の掟に背いてまで、その優しさに一塁の望みを託す。

死は時に残酷だが、時に果てし無く優しい・・・

【名もなき囚人の最期】死は時に残酷で、時に優しい...

中部地方のとある施設で、その人と初めて対面した時は、正直穏やかな寝顔に安堵した。

何せこれから彼を寝台車に乗せ、真夜中の高速を1人で、都内の霊安室まで搬送しなければならないのだ。

長い道のりだ。

どれほどの遺体を見てこようとも、やはり初めての対面は緊張するものだ。

深夜の東名高速道路をひた走り、霊安室の前に車を止める。

遺体を車から降ろし、ひたすらに労いの心をもって所定の場所に安置する。

ようやく一息ついて、夜空を見上げる。

その人が、生前重大な犯罪を犯した人間だったと知らされたのは、その翌日のことだった。

【名もなき囚人の最期】死は時に残酷で、時に優しい...

詳しいことは書けないが、長い間刑務所に服役中だったのだが、数年前に体を壊して医療施設に入院。

長く苦しい闘病生活ののちに、息を引き取った。

自らの起こした事件のために、生涯を誓った伴侶とは離婚。子供たちとも一切の縁を切られた。

連絡を受けた都内在住の弟からの依頼で、極近しい親族に一目会わせた後、人知れず荼毘に伏された。

刑期はまだ数年残っていたが、体は大病に犯され、絶え間なく襲い来る罪の意識からか、精神はボロボロの状態だったと伝え聞く。

もう一生妻や子供にも会えない孤独の中、獄中から彼はどんな思いで、窓の外を眺めていたのだろうか。

そんな中、彼に死が微笑んだ時、彼はどんな思いでそれを受け止めたのだろうか・・・

もちろん彼が亡くなったからといって、彼の犯した罪を許すことはできない。

そしてまた彼がこの世から居なくなったからといって、被害者たちの苦しみが終わるものでもない。

しかし、死が彼にもたらした優しさまでも、否定することは私にはできない。

事実を知った後ですら、彼の穏やかな寝顔に、安堵の気持ちがなくなる事はなかった。

何気なくスマホを取り出し、死神の画像を検索してみる。

不思議と恐ろしい形相の死神の顔が、一瞬優しく微笑んだような気がした。

時に残酷だが、時にどんな存在よりも優しい・・・

それが死というものなのかも知れない。

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