原爆投下に秘められた『2』の世界
NHKドキュメンタリーで「決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~」という番組が放送されていた。
内容は原爆が落とされるまでのトルーマン大統領や軍幹部の言動から、日本に原爆が投下された本当の狙いは何だったのかを探る番組だ。
その番組は、日本人の救いを叩きつぶし、アメリが人の誇りを打ち砕き、戦争の恐ろしさをまざまざと知らしめる、とんでもなく恐ろしい内容だった。
その番組を元に、私が思う『アメリカの2』『日本の2』『真実の2』について考えてみたい。
アメリカの『2』
1945年当時の85%に比べれば低くはなってきているとはいえ、現在でもアメリカ人の56%が日本への原爆投下は正しい判断だったと信じている。
近年では若者を中心に原爆投下を肯定する動きは小さくなってきているが、依然として当事者世代の人間たちは、自分たちの過ちを認めようとはしないのだ。
それは何故なのだろうか?
大きな正義のための小さな犠牲
『戦争を早期に終結させることで、何百万の米兵の命を救った。そのための大統領による勇気ある2回の決断だった。』
当時のアメリカ大統領トルーマンは、何百万人の米兵、ひいては多くの日本人を救うために最善の選択だったと訴え、アメリカを支配しする原爆投下肯定社会を作り上げた。
自国民の命のため、あるいはその先の世界平和という大きな正義のためには、多少の犠牲はやむなしという訳だ。
STOP共産主義化
旧ソ連の日本侵略を最小限にとどめ、国土分断や共産主義化を食い止めたる為に、アメリカは一刻も早い終戦を成し遂げなければならなかったのだ。
戦後の日本復興はアメリカ主導で進められ、奇跡的な経済復興・発展を経て、極東の要として中国や旧ソ連などの共産主義に対する、大きな防御壁にまで成長した。
原爆は大日本帝国政府を一発で黙らせる、まさに『インドラの矢(天の火)』だった訳だ。
日本の『2』
世界で唯一の被爆国である日本人ではあるが、意外に原爆投下に関する正しい知識を持っている人間は少ない。
せめてもの慰め
世界で唯一の被爆国として、当然ながら日本に原爆投下を肯定する風潮など、あるはずがあない。
しかし、アメリカが原爆を投下した最大の要因は、戦争を終わらせるためであり、一億総玉砕を謳う大日本国政府に対してはどこか致し方ない手段だったと、半ば諦めに似た感情を持っている戦争体験者の日本人は少なくない。
それは恐らく、『戦争とはたくさん人を殺すこと』『だから殺した』では、あまりにもむごい。だから少しでもそこに人間らしい意義(大義名分)を見つけ、自らを慰めたいのだろう。
反米感情を避けたい日本政府
良くも悪くもアメリカべったりな政策が慣例化している日本政府としても、自国民が米国に対して反感抱くことはよろしくない。
人類史上有数の黒歴史でありながら、原爆を投下したアメリカを強く糾弾しないところに、こうした政府の思惑が透けて見える。
日本がもっと積極的に国際社会に訴えていたら、今我々を取り巻く核の状況は、少し変わったものになっていたのかも知れない。
真実の『2』
それではアメリカが日本に原爆を落とした本当の理由は何だったのか?
それは・・・
『原爆を落としたかった』
ただそれだけだ。
どうです?血の気が引く思いでしょう!?
でも考えてみてほしい。
もしあなたがとてつもない時間とお金と労力をかけて、最も優秀な人類初となる何かを作ったとしたら、あなたはそれを物置に放り込んでおいて満足できるだろうか?
世界一美味しい料理だったら食べてみたい、世界一豪奢な家だったら住んでみたい、世界最速の車だったら限界スピードまで走らせてみたい、世界で最も優秀なパソコンだったら計算させてみたい・・・
人類の繁栄は果てない欲望がもたらした世界だ。
では人類史上最大の世界大戦中に作られた、世界で最も強力な爆弾だったら?
落としてみたい!という訳だ。
残念ながら日本への原爆投下は、アメリカ上層部の単なる欲求による人体実験だったようだ。
条件さえそろえば降伏を考えていた日本との戦争をうまく引き伸ばし、『攻撃の対象を軍関係施設のみ』としていたトルーマンを欺くため、米軍幹部により広島は完全な軍事基地の様に装われた。
そして米軍の最高司令官であるトルーマンが明確な意思決定をしないままに、軍主導で広島に原爆が投下。
トルーマンが自らの過ちに気付いた半日後には、2発目の原爆が長崎に投下され、桁外れの命が一瞬にして奪われたのだ。
4発程度の原爆投下を急いでいた軍の暴走を止めるため、トルーマンが全官僚を集めて原爆の使用禁止を言い渡した時には、すでに20万人以上の命が露と消えた後だった。
何が何でも人体実験を行いたかったグローブス准将(マンハッタン計画の中心人物)や、自らの過ちにより、原爆投下直後のトルーマンの深い後悔と苦悩が、番組内で次々に明らかにされていく。
トルーマンは『責任は大統領である私にある』として、『原爆投下は戦争の早期終結を狙って、大統領である私が決断した!』という主張に舵を切る。
現在のアメリカの原爆投下肯定説の根底を支えるこの理論が、実は完全な後付けであったことが明らかにされる訳だ。
世界に自らの力を誇示するため
旧ソ連などと世界の覇権をかけて激しい争いをしていた時代。純粋に『落としてみたい』という以外にも、使用可能な原爆の威力を見せつけることで、今後の戦いを有利に進める狙いもあったようだ。
何れにせよ、これにより世界は本格的な核開発競争時代へと突入していくこととなる。
1950年代には原子爆弾の数十倍~数百倍の威力があるとされる、水素爆弾の実戦使用に対する技術が大幅に進み、現在世界には使用可能な核弾頭が15,000発程度存在していると言われている。
しかし、改めて戦争の恐ろしさと、人間の欲深さ、リーダーのちょっとした選択ミスが引き起こす怖さ、そんなことを教えてもらった番組だった。