【廃れゆく二日葬】お通夜は本当に必要なのか?(通夜をすることの意味)

お通夜とは?

告別式の前日に行われる通夜。

最近は通夜を行わない1日葬も増えていますが、そもそも通夜とは何なのだろうか?

通夜の起源

2,500年前にお釈迦様がお亡くなりになった(入滅)時に、弟子たちや関係のあった人々が集まり、夜を通してお釈迦様やその遺された教えについて、語り合ったことが起源とされる。

一般的な概念

一晩中お線香とロウソクを絶やさず、故人を偲ぶこと

やはり一般的な概念といえばこれだろう。

基本理

では、正解はどうだろう?ウィキペディアで調べると、以下の様にある。

通夜とは・・・

仏教の通夜は故人の成仏を祈ることではな い。

故人との別れの最後の夜ということで、かつては大夜(たいや)といい大事にしてきた。

故人との別れに集まった親しき人々が故人の遺体を取り囲み、故人の思い出話を通して語り合う夜のことである。

起源は、釈迦の入滅後、悲しんだ弟子たちが 遺体を見守りながら、お釈迦様が生涯をかけてお話しされたお説法を弟子たちが夜通しお互い 聞き合ったという故事による。

つまり、通夜は本来僧侶から故人の死をご縁にして、日々の生活の中で薄くなっている仏様の教えを夜を通して聞かせていただくことを主旨とするものである。

ウィキペディアより

一般的な概念は半分当たりで、半分外れといったところだ。

つまり通夜とは、以下の様なことだろう。

  • 故人を偲ぶ。
  • 周りの人間との交流を深める。
  • 信仰心を高める。

現代における通夜

ひと昔前の葬儀と言えば、自宅か近くの集会所のような場所が定番だった。

しかし、現在では大都市を中心に、専用の葬儀場で行うことが当たり前となった。

小家族化が進み、宿泊は遺族負担が増えることから、勝手もわからぬ斎場に泊まり込む遺族もめっきり少なくなった。

消防法の関係から、公共性の高い斎場を中心に、一晩中線香やロウソクをともしておくこと自体禁止されている葬儀式場が増えたことも、こうした流れに拍車をかける大きな原因となっている。

そうした流れから東京近郊では、食事まで入れても数時間程度で終わらせてしまう、セレモニー形式がほぼ 一般的となった。

通夜振る舞いの席で、普段疎遠になっている人達と、当たり障りのない程度に交流を深め、それぞれの寝床へと帰っていく。

若者を中心に通夜をやることに存在意義を見出せない人間も多く、通夜自体を省く遺族も多くなっている。

通夜が必要な本当の理由

では、現在において通夜は本当に必要なのだろうか?

答えは「YES」だ。

その理由はあまり語られることのない、お坊さんが行う通夜の作法の中にある。(宗派やお寺によって内容は様々だが、心意気はほぼ同じ)

キーワードは3つある。

【安心/感謝/決意】

仏教において人は死ぬと、その魂は生命の源に戻る言われている。つまり生命は彼の地から出ててこの世に現れ、そして役目を終えるとまた元の世界に戻る。

この元の世界とは、「あの世」とか、「天国」、「極楽浄土」 などと呼ばれる所であり、本来ならば元の場所へ戻るわけだから、不安も何も無い訳だけれど、なかなかそうもいかない。

平均寿命からすれば80年以上の長きに渡って、この世に留まった結果、そこには多くの人々との係わりやら、しがらみやらが出来てしまって、それがどうにも後ろ髪を引くらしい。

ましてや若くして幼い子供を残して死んでしまった場合などは、大きな未練が残る。

『あれは大丈夫だろうか?』

『これは心配ないだろうか?』

『それは問題ないだろうか?』

そんな心残りがあるから、すんなりとあの世へ行けない。

そこで登場するのが、心残りの最大の原因である我々生きている人間だ。

『自分達のことは大丈夫!安心してあの世へ行ってちょうだい!』

そんな気持ちを僧侶が唱える『安心(あんじん)のお経』に乗せて、故人に届ける。

故人を含め祖先に大いに感謝をし、在りし日の故人に思いを馳せる。

いつまでも落ち込んでいては、故人も安心してあの世へと戻れない。

『故人を心配させない為に、精一杯生きていく』

それを故人に宣言する形で決意させることで、関係者が『死の悲しみ』から立ち直るのを手助けし、前を向いて歩き出すことを促す。

これが「通夜」なのだ。

『ケジメ』としての通夜

勿論死後の世界のことなど誰にも分からない。

元の世界に戻るという教えも、そんなの嘘だ!と言ってしまえばそれまでである。

しかしながら、きちんと故人に感謝し、自らの力で精一杯生きることを誓う機会ならば、わざわざ省略する理由はない。むしろ率先して行いたい。

多少の煩わしさや費用の問題はあるだろうが、人生において何度もある訳ではない大きな「ケジメ」なのだから、初めから【無くて良い】という方向性ではなく、【やってしかるべき】という考え方で臨んでいきたい。

今後、自身の豊かで実りの多い人生への大きな助けとなるはずだ。

さいごに

元来宗教とは「怪しい何か」ではなく、人々がよりよく生きる為の経験や知恵を沢山詰め込んだ、合理的な教科書のような モノだと私は思う。

昨今の日本では非科学的で不必要なものとして、真っ先に切り捨てられる傾向にあるが、心豊かな人生を送る為に、是非「宗教の心」というものを学び、感じてもらいたい。

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